'06年11月18日(土)

PLDTとの死闘(マニラのKaz様)

PLDTのアルカテル上海製のDSLモデム、モデムなのに4ポートついてるのはなぜ?

今や生活に欠かせないアイテム、ブロードバンドインターネット。ブロードバンド(といっても1M程度のADSL、フィリピンではDSLと呼ばれてます。上り回線も同じくらい早いのからなのかな?)の使えないところにはもう住めないです。ブロードバンドのない国へ赴任しろといわれたらきっと断りますね…。

ただ一応ブロードバンドインターネットが使えるとは言っても、申し込んですぐ開通する日本とは違い、使えるようにするのは結構大変なのです。エドの知人は申し込みから半年待ってるけどまだ引けてないらしいですし、別の知人は「1週間」と言われて1ヶ月以上かかったそうです。

そこへマニラのKaz様から下記のようなご投稿をいただきました。半年ですか…、半年は待つには長すぎますね。


とうとう我が家にDSLがやってきました。

ほぼ半年間の紆余曲折がありましたけど、開通した今からは、これまでの苦労や怒り(!)全てが懐かしい思い出になりそうです。

今年4月に家族が移り住み、日本から持ち込んだノートPCでインターネットを我が家でも使おうと、早速PLDTのmy DSLを申し込みました。

しかし二ヶ月経っても音沙汰無しの待ちぼうけ。そこでコンドミの管理マネージャーに相談して、契約しているケーブルTVのSkycableにも申し込んだのですが、こちらもなしのつぶて。

ところで4月のPLDTの申し込みは、固定電話の名義がコンドミニアムのオーナーであるのにも拘らず、自分が名義人であるかの様に申請していたため審査にはねられた・遅れたというのが実態のようです。それでも申請から連絡もなしにほっとかれていたのには腹が立ちますが。

そこで、7月に入り会社の出入り業者を介してPLDTの人を紹介してもらい、7月末に再度はPLDTに法人名義(我が家の固定電話の契約者)で申し込みしました。それでも2ヶ月経ってしまいましたが、9月下旬に突然テクニシャン二人がモデムを設置にやってきました。

兎に角”突然”来たので出勤して又すぐに我が家に戻らなければなりませんでした。2時間ばかりで作業を終えた二人を送り出し自分も職場に戻らなければならない羽目に陥ったのです。

その夜具合を試そうとしたのですが、インターネットはつながるもののメールがうてません。メールの設定がまだなのに気付き、自分でやるしかないと契約内容の書類を探しても見当たりません。

日本だったらある筈の書類を受取ってないのに気付き、PLDTに電話するとそういう書類は準備してないという返事。ならばとサーバー名を聞き出したのはいいのですが、メールのパスワードとアドレスは担当がいないので分りませんと言われ一時休戦としました。それから約3週間、相手がPLDTからInfocom に代わり再三の督促を繰り返した結果、10月半ばに待望のパスワードとアドレスが会社のPCにメールで届き、めでたく全面開通となった次第です。

PLDT myDSL Professionalは、Maxで2048 kbps とありますが、我が家では実力は1500 kbps 位です。料金はずばり毎月3000ペソ(約6900円)。


Kaz様ご投稿ありがとうございます。お疲れ様でした。

そういえばPLDTのmyDSLにメールアカウントはついていますが、エドは実は使ったことがないのです。マニラから引っ越すときに、メールアドレスが使えなくなるのが嫌なのと、もともと他のアドレスを使っていたためです。エド以外にも、マニラでは今はADSLを使っている人でも、インターネットカフェやプリペイドダイヤルアップユーザーだった頃から使ってるYahooやHotmailのアドレスを使っている人が多いですね。そんなこともmyDSL自体のメルアドの設定の重要度が低い理由の一つかも知れませんね。

'06年11月18日(土)



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