最近もまだちょこちょことデモがあったりして、デモ隊が機動隊に水をかけられたりしているシーンが写真のようにINQUIRER紙の1面に良く載っていました。反アロヨの動きも段々パワーを失っていったように見えるのですが、それを見計らったかのように無届けデモなどへの規制・取り締まりが段々厳しくなってきたようです。このようなデモ隊への放水などはマルコス大統領の独裁政権以来あまりなかったようで、現在議会で審議中(正確には知りませんが)の反テロリスト法が事実上の戒厳令になるのではないか、なんて議論も新聞を良くにぎわせてます。
マルコス大統領は亡命先のハワイでなくなりましたが、イメルダ夫人は今も健在でマカティに住んでいるらしいです。ネッシーのようにたまにホテルなどでの目撃情報もありますし、競売に掛けられそうな自分の宝石を返せと訴訟を起こしたりもしているらしいです。
1972年にフィリピンに戒厳令を敷き、1986年のエドサ革命でその座を追われるまで独裁政権を維持したマルコス大統領。およそ独裁者と呼ばれる人には、ヒトラーから軽水炉寄こせと駄々をこねる人まで、マイナスイメージの評価がついてまわりますが、故マルコス大統領もその例に漏れません。
でも公式な評価はともかく最近ちょっと気になるのは、フィリピン人から「今よりあの頃がましだった。」とか、「今わが国必要なのは、規律とそれを実現できる強力な指導者だ。」などと聞くことが増えたこと。もちろんこれはアロヨ大統領とか反テロ法案を支持しているという意味ではありませんが。
フィリピン人といっても、わずかな日当で反政府デモに借り出されたような失うものをあまり持たない人々が言っているのではありません。前者は華僑の会社副社長、後者は米系企業現地法人のやはり上級副社長のポジションにあるフィリピン人の発言で、もちろん公式なものではなく半分冗談のような感じで言ってるのですが、なんとなく本音っぽい気がします。昨年の大統領選でも大衆的な人気はもちろん元映画俳優にはかないませんが、元国家警察長官のラクソン上院議員を支持するという人もある程度いたので強い指導者を望む機運がなんとなく少しずつ高まっているような気もします。
政治的な混乱、物価上昇による生活レベルの低下、治安の悪化などが続けば、確かに混乱を収束するために軍部などによる戒厳令などもやむなしという機運がもしかしたら高まるのかもしれませんね。
21世紀にもなって軍事クーデーターというのは流行りませんが、発展途上国では腐敗した文民政権に対して軍部が野党的な役割を果たす事例も多いし、過去に何度もクーデター未遂が起こっているフィリピンではまだその可能性もあるのかもしれません。
エドはなんとなく、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」に描かれた、当時世界でも民主的だったドイツのワイマール共和国が経済混乱の中でヒトラー独裁に移行していった歴史を思い出してしまいました。
でもフィリピン人が独裁者をたたえるためにリサール公園でマスゲームをするのはちょっと想像しにくいな(笑)。それに今この国にあるのは、責任を伴う「自由」ではなくて、誰も責任を取らない「無秩序」とか「混乱」のようにも見えます。そして、その行き着く先はクーデターなどによる独裁政権ではなく、外国への移民という「フィリピンからの逃走」なのかもしれませんね。
'05年10月24日(月)
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